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だらだらと神社仏閣の写真を垂れ流すプログ

矢切神社~野菊の墓文学碑  

ちょっとばかり腰を痛めてしまい、外出を控えていましたが、
日曜日に回復したので、千葉県松戸市の矢切神社から矢切の渡しに乗り、
対岸まで行き柴又帝釈天(経栄山題経寺)まで行って来ました。
途中、野菊の墓文学碑に立ち寄りました。

最初は、ねぎ畑での一枚。
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天気は晴れてはいましたけど、快晴という程でもなく、
写真もイマイチと言った感じです。

矢切神社は、Wikipediaによるとこんな神社だそうです。
『宝永元年(1704年)6月29日の長雨により、江戸川が大洪水を起こし、
水高が地面より8尺余り(約2m50cm)となった。
当時の矢切の民家は江戸川沿岸にあったため、多数の死者を出し、産業も甚大な被害を受けた。
災害から逃れるように村民が台地上に移住し、
鎮守として京都東山より稲荷を勧請して祀ったのが矢切神社である。』

この矢切地区を見ると確かに江戸川沿いの低い土地には民家は今もほとんどありません。
ほとんどはねぎ畑です。
江戸川の向こうは東京なのに、一面ねぎ畑という、ちょっと面白い土地です。
その理由は、上記に引用したような歴史的な背景があったのですね。

JR常磐線の松戸駅からはバスでやって来ました。
バス通りには、「矢切の渡し」と、あります。
そう、あの有名な矢切の渡しの矢切なのです。
DSC_6163

ここを入ると、すぐに矢切神社が見えてきます。
高台の上にある、小さな神社です。
DSC_6169

上記には、「京都東山より稲荷を勧請して」とありますように、
御祭神は、倉稲魂神とパパの素戔嗚命です。
境内は小さいですが、綺麗に手入れがされていて、地元の人から愛されている神社なことが伺えます。
DSC_6173
桜の木はかなり花は散ってしまっていて、もうほとんど葉桜でした。

さて、神社をあとすると、すぐ近くに庚申塚があります。
DSC_6167

この塚、いろいろといらっしゃったので、こちらの説明を写真にとっておきました。
興味のある人は拡大してどうぞ。
DSC_6184

さて、このあとは、ねぎ畑をぬけて、渡し船に乗り柴又まで行くのですが、
途中に、野菊の墓文学碑という場所があるので、そこに寄ってみます。
DSC_6183

庚申塚から進んでいくと、途中にこの張り紙を何回も見かけます。
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さっきから、何回も書いているように、
近くにが広大なねぎ畑がありますので、当然管理してる方たちがいるわけですよね。

そんな民家の間を歩いて行くと見えてきました。
崖の上に歩道橋がかかっており、この両脇が記念碑のあるところです。
DSC_6188

片方には、こんな記念碑がありました。
あの有名な、小説『野菊の墓』の舞台は、まさにこのあたりなのです。
DSC_6203

そして、こんな解説も。
DSC_6205

そして、こんな大きな解説もされています。
DSC_6204
このあたりは、国府台合戦の舞台でもありました。
どうしても、戦国時代って超有名人に目が行きがちですが、
関東のお話だってなかなかどうして興味深いです。

そして、先程下から見た歩道を渡り反対側に行ってみます。
歩道の上は桜が散ってうっすらと薄桃色の敷物がひいてあるかのように見えました。
DSC_6196

反対側は木々に覆われ薄暗かったのですが、
こちらも桜の花びらが敷き詰められていてました。
日陰なので色が濃い目に見えてちょっと、「おっ」と思わせる光景でした。
DSC_6190
桜って、咲いている時も素晴らしいけど、
散ってしまったあとも素敵ですね。

さて、長くなってしまったので、
ねぎ畑→矢切の渡し→柴又帝釈天までの後半は次回にします。

というわけで最後に、おそらくこれで今年最後であろう桜の花をアップで一枚。
DSC_6197

category: 神社

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